ソドムの市
(そどむのいち Salò o le 120 giornate di Sodoma)
1976年1月10日に公開されたイタリアとフランスの合作映画。
監督はピエル・パオロ・パゾリーニであり、本作は彼の遺作となった。原作はマルキ・ド・サドの「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校( Les 120 Journées de Sodome, ou l'Ecole du libertinage)」であるが、舞台を20世紀のイタリアに置き換えるなどアレンジを加えている。スカトロ描写や性器の露出など倒錯的なシーンが多い。これはマルキ・ド・サドの作品を扱う上で避けられないことであり、またパゾリーニの演出でもあり、また現代社会を批判のするものとしての象徴とされている。欧米ではあまりの過激な表現が問題となり、各地で上映が禁止された。
※ボーダーレスに所属するクリエイターの作品ではありません
あらすじ
舞台は連合国に降伏した後のイタリア。どうにか連合国から逃れた一部のファシストは、北部の町サロに亡命政権を形成する。支配者である、大統領・大司教・最高判事・公爵の四人は自分たちの快楽のために新たな法を制定。厳選した男女各9人を秘密の館に連れさりあらゆる淫蕩・変態行為に耽る。集会所で四人の語り婆たちのうち一人に猥褻な体験を話させ、聞いた話をそのまま実行していた。しかし徐々にその行為はエスカレートしていき、まるで地獄のような状況になっていくのだった...
エピソード
上記の通り、本作はパゾリーニの遺作となったのだが、彼の死には本作が深く関わっているとされる。本作のクランクアップ直後に、出演していたエキストラの少年にパゾリーニが殺害されたとされ、警察も彼が少年に対して行った性的暴行の拗れと断定した。だが、遺体は全身を殴打されていて、しかもパゾリーニ自身の車で何度も轢かれているという、少年が一人で行った犯行とは言いがたいものであった。2005年になって、当時少年だった犯人は「真犯人は別の3人組。家族に危害を加えると脅されたので罪をかぶった。もう両親も死んだので話せる」と告白。具体的に実行犯に関して話しているわけではないので、いまだに真相は闇の中であるが、ネオ・ファシスト、反共主義者、マフィアなどパゾリーニのユーロコミュニズム的思想に反感を覚えた勢力の暗殺という噂は、いまだに実しやかに語られている。
また、本作では一部のネガフィルムが現像所から盗難されるという事件も起こっている。パゾリーニはラッシュプリントからネガを複製し対処したが、そのせいで一部に画像の乱れが残っている。この事件もまた、フィルムを"人質"にしてパゾリーニをおびき出そうとした殺人犯人グループの仕業ではないかといわれている。
言葉は元々、イギリス牧師で奴隷廃止論者のベイルビー・ポーテューズの言葉である。
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