蒲田行進曲
(かまたこうしんきょく)
1982年(昭和57年)10月9日に公開された日本映画。
監督は深作欣二であり、原作はつかこうへいの同名戯曲「蒲田行進曲」である。なお、映画製作にあたり原作者であるつかこうへい自身が脚色をし、脚本も担当している。「新選組」の撮影ににぎわう京都撮影所を舞台に、二人の男とその間で揺れる一人の女性を描いた青春人情喜劇。もともとこの「蒲田行進曲」というタイトルは"松竹キネマ蒲田撮影所"の所歌を指すものであり、松竹映画の歩んできた歴史そのものといえる。本作は松竹と角川春樹事務所が共同製作した映画だが、監督の深作が東映出身者であり、撮影も東映の京都撮影所で行われた。松竹と東映というライバル会社同士の複雑な感情の拗れを抱えつつも、第6回日本アカデミー賞を受賞、配給収入は17億円を超える大ヒット映画となった。
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あらすじ
大部屋役者のヤス(平田満)は花形俳優である銀ちゃんこと銀四郎(風間杜夫)に憧れていた。そんなある日に、ヤスの部屋に銀ちゃんと女優の小夏(松坂慶子)がやってくる。小夏は銀ちゃんの子どもを身ごもっているが、スキャンダルになると困るので小夏と二人で子どもを育てて欲しい、ということだった。妊娠した彼女を押し付けられた形なのだが、憧れの銀ちゃんの願いを断ることもせずに快諾するヤス。彼は妊娠中毒症で倒れてしまった小夏の看病に毎日通い、結婚資金を稼ぐために危険な仕事を進んで受けていく。小夏の心は徐々にヤスに傾き始めるのだが、そんな折も折り、行き詰まった銀ちゃんが、彼女の前にふたたび現れるのだった...
エピソード
ラストの「階段落ち」は日本映画屈指の名シーンと呼ばれ、非常に人気が高い。このシーンのモデルは俳優の汐路章であり、原作者のつかこうへいは階段落ちについて語る汐路を「徹子の部屋」で観てモデルにしたと語っている。
風間杜夫にとって最大級の当たり役といえる銀四郎だが、当初は松田優作がキャスティングされる予定であった。風間の元にオファーが来たのは、クランクイン間近の事であった。
松竹の映画監督である野村芳太郎は、本作品を東映出身である深作が監督したことに激しく憤り、1986年に山田洋次監督・渥美清主演の「キネマの天地」をプロデュースすることになる。
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