若松 孝二
(わかまつ こうじ 1936年4月1日~2012年10月17日)
日本国内だけではなく、世界から注目を集める映画監督。意欲的なピンク映画を数々製作したことから「ピンク映画の巨匠」、「ピンク映画会の黒澤明」といわれる。宮城県出身。
※ボーダーレスに所属するクリエイターではありません
映像作品に対するこだわり
若松の映画作成の原点には「怒り」があり、反体制の視点から描かれた作品は多い。そういった性質からも若者から高い評価を得ていた時期がある。また、学生運動を行う学生などから非常に高い支持を受けたが若松自身は「学生運動を支持して作品を作ったことはなかった」と語っている。主義主張を作品に投影しているわけではなく、自分自身が興味をもったものを積極的に作品としている。これを証明するかのように、キャリアの晩年にさしかかった2007年に「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を撮り、2012年には学生運動家たちとは正反対の存在である、三島由紀夫と盾の会を追った「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」を製作している。また、若松監督には"低予算""自主制作""インディーズ"という冠が付く事が多い。上記の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」では、資金を一部カンパに頼り、自宅を抵当に入れて借金をして資金を用意し、ベルリン国際映画祭でも評価された、2010年公開の「キャタピラー」は、たった12日の撮影期間、スタッフ総勢11人と、まるで学生映画と見まごうような小規模で製作されている。『誰にも邪魔されず、撮りたいものを、撮りたいときに、撮りたいように』撮るという、大手映画配給会社には絶対に真似のできない、若松監督ならではの超個人主義であり、作家性の高さの証明でもある。
エピソード
ある現場でシナリオの改変に腹を立ててプロデューサーを殴りつけ、その場でクビになる。半年ほど拘留された経験から警官を殺すために映画監督になったなど、激情の人である。日本国内だけではなく、世界的にも評価が高い。アメリカのバンド「ソニック・ユース」の元メンバーであるジム・オルークは若松の大ファンであり、若松の映画音楽を担当するために日本語を習得している。
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