勅使河原 宏
(てしがはら ひろし 1927年1月28日~2001年4月14日)
映画監督でありながら華道三大流派と呼ばれるうちのひとつ、草月流三代目家元という多彩な芸術家。映画の世界に前衛性をもたらし、ジャンルを超えた活動を行った。妻は女優の小林トシ子。
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映像作品に対するこだわり
映像表現だけではなく、生花、陶芸、オペラ演出などを手がける。勅使河原は東京芸大在学中から前衛芸術に傾倒し、多くの作品の中に前衛性を開拓していった。創作活動に非常に意欲的であり、手法の変化やアングルの独自性という作品内の変化だけではなく、創作の場所すら映画に留めず幅広いジャンルで活動を行った。その活動は晩年になっても変わらずに貪欲に創作活動を行なっていた。勅使河原のこだわりは「方法に縛られない」といえるかもしれない。日本アート・シアター・ギルド、通称"ATG"が製作した初めての日本映画「おとし穴」(1962年)は彼の監督作品であり、それまで大衆娯楽としてのみ存在していた日本映画を、芸術・個性・作家的発想といった、アート表現方法の一つとして確立した最初の一人であるといえる。「砂の女」、「他人の顔」、「燃えつきた地図」など、安部公房原作および脚本の作品を多く監督したことでも有名。特に「砂の女」では、第17回カンヌ国際映画祭審査員特別賞など、海外の映画祭でも高い評価を受け、世界に向けた日本発信の映像アートの先鞭をつけた一人であるといえる。
エピソード
上記の通り、勅使河原自身の大ヒット作品で代表作ともいえる「砂の女」。作品の原作者である安部公房とは学生時代からの付き合いだった。安部公房や関根弘らによる前衛芸術の会「世紀」に勅使河原も参加している。また、1968年には日本人で初めてアカデミー賞審査員を務めた。これは国際的に勅使河原が非常に高い評価を受けていたためである。
華道家・タレントとしておなじみの假屋崎省吾の師匠でもある。假屋崎は勅使河原から、単に花を生けるだけでなく、空間そのものを演出するよう教わったそうである。また、一番最初に見せた作品を勅使河原は大いに褒めてくれたそうで、それがその後の自信に繋がったそうである。
石川県加賀市にある、観光スポットしても有名な『あやとり橋』も、勅使河原のデザインである。子供の遊びである"あや取り"をイメージしており、渓谷(鶴仙渓)の持つ自然の美しさと相俟って、芸術的建築物として評価が高い。
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