オーソン・ウェルズ
(George Orson Welles 1915年5月6日~1985年10月10日)
ハリウッドを代表するアメリカの映画監督。監督業だけではなく、脚本や俳優など多彩な才能を発揮した人物。高い才能を正統に評価されなかったことから「呪われた天才」とも呼ばれる。
映像作品に対するこだわり
現代でこそ、天才映画監督として評価を受けているオーソンだが、ハリウッドを追われ、生涯に渡って完成した作品よりも未完の作品の方が多いなど、「呪われた天才」というイメージが彼にはつきまとっている。神童として演劇、詩、漫画などに高い才能を見せ、幼少期は演劇にのめり込んだ。映画監督になってからも型破りな発想、時代を先取る演出など才能をいかんなく発揮し批評家たちを圧倒するが、商業的な評価を得ることが出来ずにハリウッドを追われることになる。こういった経緯から「早すぎた天才」とも呼ばれている。特にオーソンの処女作である「市民ケーン」は撮影技法、演出、構成などすべてにおいて革新的で高い評価を得ているが、これは当時の新聞王であり大富豪のウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルとして撮られたため、彼の逆鱗に触れてしまい上映館も各映画祭もオーソンを無視するしかなかったとされている。これ以降の作品も、彼のことを嫌っている、もしくは作品の良さを見抜けなかったプロデューサーや映画関係者たちから、無理やりに編集を強要されたりと、不運は重なり続ける。もし当時から評価を得ていれば映画史は大きく変わっていたという意見も多い。
エピソード
日本を代表する映画監督である小津安二郎は「『市民ケーン』は怖いね。チャップリンが62点くらいだとすると、奴は85点ぐらいだ」と高い評価をしている。また、「タクシードライバー」などの作品で知られるアメリカの映画監督マーティン・スコセッシは「映画史上、ウェルズほど多くの人間に映画監督になりたいという志を抱かせた人物はない」と語っている。映画監督としては評価をされず俳優業に活路を見出したとして、俳優であるエリッヒ・フォン・シュトロハイムとの類似性が指摘される。
チャップリンの映画「殺人狂時代(Monsieur Verdoux)」の有名な台詞は、じつはオーソン・ウェルズが考えたものだという説があるが、チャップリンは認めていない。(ただし、クレジットにはオーソン・ウェルズの名前が原案という形ではいっており、製作に当たって5000ドルが支払われている)
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