クリント・イーストウッド
(Clint Eastwood 1930年5月31日~)
ハリウッドを代表するアクション俳優であると同時に、アクションから文芸性の高い作品まで作成する監督である。
映像作品に対するこだわり
本国アメリカでも、そして日本でも、ジョン・ウェインやアラン・ラッド、スティーブ・マックイーン達と並んで西部劇の英雄だった俳優であり、70年代以降は「ダーティー・ハリー」のハリー・キャラハン警部として一世を風靡したクリント・イーストウッドが、90年代に入り監督業に挑む――最初にその話が出た時、少なくとも日本の映画ファンは「どうせアクション映画しか撮らないだろう」と噂しあっていた。だが実は、イーストウッドは60年代にすでに自分のための小さな映画製作プロダクションを立ち上げて、いわゆる"B級作品"と呼ばれるような、超低予算映画の監督作品を作り続けていたのだった。最初に自身が監督した作品は「恐怖のメロディ」という恐怖映画である。そこで監督としての腕を磨き、90年代に"最後の西部劇"といわれた「許されざる者」、そして文芸作品として名高い「マディソン郡の橋」で、これまでに培った監督としての経験と才能を爆発させる。自身のB級映画での経験と、セルジオ・レオーネ監督そして「ダーティーハリー」を撮るまではマイナー作品を撮り続けていたドン・シーゲル監督という師匠の影響もあり、映画作りはいわゆる「B級作品スタイル」という低予算短期間での撮影を実践している。これはヒッチコックなどが行った、撮影時に無駄なショットを一切撮らない手法であり効率的かつ合理的なものである。この手法を行うためには事前に入念な打ち合わせと作品イメージの固めが必要なものであり、実に職人的な方法といえる。そして2006年には「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」で、戦争アクション・ヒューマンドラマ・群像劇という、これまでの自分のキャリアの総決算といえる作品を撮った。人知れずコツコツとキャリアを積み重ねたイーストウッドの"映画愛"こそが、彼の作品の持ち味である。
エピソード
黒澤明のファンであり、カンヌ国際映画祭で黒澤明監督の「夢」が公開された際には会場に入ろうとする黒澤に「ミスタークロサワ」とほほにキスをして「あなたがいなかったら、今の私はなかった」と感謝の言葉を述べている。また、日本の俳優である渡辺謙と親交があり2006年ゴールデングローブ賞授賞式においては「偉大なる渡辺謙に感謝します」と感謝の言葉を口にしている。
代表作品
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